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散歩術

向寒の候。
めっきり 日足も 短くなり、じわじわと 冬の足音が 聞えて来る 今日この頃。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

数ある 健康法の中で、‘歩く事’ が、最も確実で効果がある、といぅ事を ご存知ですか?
ダイエット や を刺激するといぅ 視点からも、歩く事は 良い事なのです。

本来、人間は 動いて 獲物を捕らなければ、食料が確保、出来ませんでした。
つまり、歩く事が 生きる事でもあった訳です。
それが 社会の変化により、何時でも食料が 手に入る様になり、歩かなくても
食べられる様になりました。
しかし、人間の遺伝子の中には 食料が手に入る時は、限られているので、食べられる時に
食べて、皮下脂肪で エネルギーを 溜めておく様に 命令が出て、肥満になってしまうのだそぅです。
ですから、人間の基本は 歩く事にあると いえます。

 

健康の為には 1日、40分~50分 程度の 歩行で良い。
でも 早歩きでも、走っても いけないのだそぅですよ。

歩く事で、大腿の太い筋肉を動かす事を ミルキングと いいます。
これは 牛の乳を搾る原理と同様で、脚の血管が ポンプの役目をして、血液の流れを良くします。
実際に、脳へ行く血液の流れも良くなるので、酸素と 脳の唯一の エネルギー源である
ブドウ糖も 十分に供給される事になり、脳が活性化されるといぅ訳です。
また、歩く事で 神経成長因子が分泌されると、神経細胞が刺激され、ネットワークが
作られ易くなり、これもまた、脳の活性化を 図る事となります。

歩く事を続けると、免疫力もアップして、風邪を引きにくくする 効果もあるそぅです。
また、ダイエットの面から考えると、40分位の歩行で、ご飯、一杯分のエネルギーを
消費、出来ます。
つまり、普段通りに食べて、それプラス、1日、40分の歩行を行えば、理論上は
絶対に、やせてくるはずなのですが・・・。
ですから、歩く量と 食べる量を コントロールする事が 出来さえすれば、ダイエットは
かなり、やり易くなりますよね・・・。

さらに、脳を活性化すると言う観点から、歩く時には、情報収集をする意識を持つ事が
大切なのだそぅですよ。
同じ道を歩いていても、常に意識を持って歩いているのと、いないのでは、当然ながら
脳に入ってくる 情報量は 違ってきます。
常に 見るものを意識して、感情と言うフィルターを通し、美しい、楽しい、感動したなどと
いぅ様な 感情が動かされると、一瞬にして 脳に記憶されるのだそぅです。

身体を 動かす為に 歩く事は 基本ですが、日常の中で 新しい何かを 発見しよぅとする意識こそ
脳を 活性化する方法だと いえますね。

まだ 今の季節、歩くには、とても 良い季節です。
脳を 刺激する為にも、季節の変化を 目と脚で 確かめる、といぅのは いかがです?
ただ、山を歩くのは 時節柄、十分に 気を付けましょぅね。
クマった事に 合うかも しれませんから。

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


サプリメント

季秋の候。
朝晩は、すっかり、冷え込む様に なってまいりました。
季節の変り目には、体調の管理に 気をつけたいものですね。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

日頃、ご自身の体調に気を配り、毎日、サプリメントを 愛用されている方々も
きっと、多い事かと。

昨今、テレビ・ラジオショッピング や 新聞広告の通信販売などでも、盛んに
販売される様になった、多種多様な、‘サプリメント’

 

‘食事で、十分な栄養が摂れているか不安’‘薬を服用中だけど、続けると、副作用が心配だし
病気に効くと、宣伝されているから’

この様に、健康の為に サプリメントを利用している方々も、多いのではないでしょぅか?

過去に行われた、国立健康・栄養研究所の調査では、もはや、幼児でも、15%
サプリメント
を 利用している、といぅ結果も 出ています。
きちんと 食事をしていても、栄養補給の為に利用する方々も、多い様ですね。

どなたでも、手軽に利用のできるサプリメント
しかし、本当に自分には、サプリメントが 必要なのかどうかを 良く考えて、利用する事が
望ましいのでは ないでしょぅか?

保健機能食品(特定保健用食品=トクホと、栄養機能食品)は、国が認めている名称ですが
健康食品サプリメント栄養補助食品ダイエット食品などは、法的な定義がなく
販売業者が任意で 使用しているのが現状です。
トクホ以外は、効果や安全性のデータがないものも多いそぅです。
情報が、どの様な根拠に基づき、どこから出されたものかを きちんと確認する必要がありますね。

一見、お手軽なサプリメントも 使い方は、重要です。
特に、病気の人や 高齢者の方などは、注意が必要だと いわれます。

肝臓に良い、とされるウコン
実は、肝機能が悪い方が利用しますと、逆に、肝臓を悪くしてしまう場合もあるそぅです。
アレルギー体質の方も プロポリスなど、アレルギーを 起こしやすいものも ありますので
注意が必要です。
病気の方は、サプリメントではなく、医薬品での治療が 基本ですね。

野菜を食べないからといって、サプリメントを利用するという方も いらっしゃるかと
思いますが、はたして、それだけで 良いものなのでしょぅか?
1日分の野菜が摂れる、といぅ触込みの商品の 実際の野菜の量が、1/10以下
あったといぅ例もありますし、ビタミン剤も 摂り過ぎると、有害な場合もあるそぅです。
また、特定の成分だけのサプリメントでは、健康を保つ事は、難しいとも いわれています。

また、サプリメントは、病気の予防にとも 思われがちですが、実際には、効果がない
場合もあります。
何かと、ビタミンE や ビタミンCは、人気がありますが、これらの サプリメント
飲んでいても、心筋梗塞 や 脳梗塞による、死亡率は 減少していない といぅ大規模試験も
行われています。

安全性についても、天然自然だから、全てが安全といぅ訳ではありません。
人によっては、体に悪い場合がありますし、錠剤 や カプセルは、特定の成分を 凝縮して
ある為、過剰摂取による 健康被害が出てしまう場合もあります。
また、サプリメント併用すると、薬の効果が弱くなってしまったり副作用がでて
しまう場合も、考えられます。

サプリメント
は、その効果について、科学的に立証されているのか? 安全性は、確かなのか?
そして、自分自身にとって 本当に必要なのか? などを 十分に考えて 利用しないと
意味がないといぅ事です。

一見、お手軽過ぎる サプリメントではありますが、健康維持の為には、何といっても
バランスの良い食事で、栄養を摂る。
これが、基本となりますね。 

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尖閣諸島

霜月
11月も半ば、立冬も迎え、 早々に 秋も過ぎ、冬の足音が 聞える 今日この頃
余すところ、今年も ひと月半ですね。
ちまたでは、クリスマスケーキ や おせちの 予約やら、お飾り、鏡餅の 売り出しなどと・・・
早いものですねぇ。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

終わりのない 沖縄  ‘尖閣諸島’ 問題。
相変わらず、強気な 姿勢を崩さない、中国

尖閣諸島中国語名は、釣魚島
古くから、その存在については、日本中国、共に知られていましたが
両国 いずれの住民も 定住したことがない、無人島でした。

 1884年に 日本人の 古賀辰四郎が、尖閣諸島を初めて探検し、翌85年日本政府に対し
島の 貸与願いを 申請していました。
日本政府は、沖縄県などを通じ、度々、現地調査を行った上で、1895年1月14日
閣議決定によって、日本領に 編入されました。
歴史的には、この措置が 尖閣諸島に対する、最初の領有行為であり、それ以来、我国の
実効支配が続き、今日に至っている訳です。 

島のうち、大正島は国有で、現在は、アメリカ軍の射爆場となっています。
それ以外の島は、古賀氏が所有する民有地です。
戦後、一時、200人程の住民が移住し、鰹節の製造を行っていた事実もあります。
この民有地である4島、魚釣島久場島北小島南小島を、現在は、国(総務省)が
借り上げています。

所有者のいない無主の地に対しては、国際法上、最初に占有した‘先占(せんせん)’に基く
取得 及び 実効支配が 認められています。
この領有に対して、1970年代に至る、75年間、外国からの異議が 唱えられたことは
一度も ありませんでした。
我国の領有は、‘主権の継続的で平和的な発現’ といぅ、‘占有’ の要件に十分、合致していて
国際法上も、実に正当なものと いえますね。

これに対し、中国台湾が 尖閣諸島の領有を主張し始めたのは、1970年代に入ってから。
1969年に公刊された、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の報告で周辺の海底には
石油・天然ガスが大量に 存在する可能性が 指摘されたことが 背景にあるとも思われます。

台湾が 70年に入って、尖閣諸島の領有権を主張し始めると、中国政府も
71年12月30日の 外交部声明で、領有権の主張を始めました。

確かに、の時代などの歴史的文献を見ると、尖閣諸島の記述が見られます。
しかしそれは、当時、中国から琉球にに 向かう航路の目標として、これらの島が
知られていたことを示しているだけで、中国の文献にも 中国の住民が、歴史的に尖閣諸島
居住したことを示す記録は、ありません。
しかも、中国が領海法に尖閣諸島中国領と独自に書き込んだのは、1992年 のことで
それ以前は、中国で 発行された地図でさえ、尖閣諸島は、中国側が 領海とする区域の
外にあった訳です。

歴史的にも、国際法においても、尖閣諸島と、その周辺が 我国の領土・領海であることは明確。
戦時、侵略して 奪い取った島では ありません。

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出会えた ご縁を 大切にしたい。
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七五三

初雁の候。
そろそろ、七五三の 家族連れを 見かける様になる、この時季。
わが子たちの 遥か昔を 懐かしく思い出す、今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

この11月は 古来から、秋の収穫を 祝う月と されてきました。
そんな 自然の豊かな 実りに、あやかろぅとしたのでしょぅか?
子どもの 成長を祝う「七五三」の行事は、11月15日を中心として、今も 全国的に
広く行われていますよね。
皆さんは、ご自身の七五三、或いは、お子さんや お孫さんの 七五三の 思い出は
ありますか?
七五三といえば、男の子は、3歳と5歳、女の子は、3歳と7歳の時に行われる
ことが 多い様ですね。

これは、七五三の 基になった 公家 や 武家の通過儀礼に 由来していると いわれています。
その昔は、3歳になると「髪置(かみおき)」の儀式が 行われました。
生まれてから、3歳になるまで 髪を剃っていたのをやめ、髪を伸ばし始める訳です。
この髪置の儀式では、子どもの頭に白い綿帽子をかぶせ、「白髪になるまで生きる様に」
との 願いを 込めたと いわれています。

次に、5歳になると、今度は「袴着(はかまぎ)」の儀式を行います。
これは、5歳になった男の子が初めて 袴を身に着ける行事で、男子としての道を
歩み始める為の スタート地点と いえますか。
更に、女の子の場合は、7歳になると「帯解(おびとき)」の行事が 待っています。
この儀式では、それまで着ていた ひも付きの着物をやめ、初めて大人と 同じ様な
帯を締めて、正式に着物を 着ることとなります。

この様に、七五三は、3歳・5歳・7歳で、それぞれ 別々に行われていた 儀式が
一つになった為に、男女で祝う 年齢が異なって いるんですね。
ちなみに、七五三を 祝う日が 11月15日になった理由として、中国の
陰陽道(おんみょうどう)では、旧暦の15日が「鬼宿日(きしゅくにち)」といぅ
鬼の いない 最良の吉日に当たる為、といぅ説があります。
しかし、これ以外の説も いくつかあり、これは、定かではない様です。

ところで、3歳・5歳・7歳を節目の年としたのは、なぜでしょぅか?
これは、中国では 古代から ‘奇数を吉’ としていたことに 由来している様です。
そういえば、七五三以外の 子どもの成長を 祝う行事にも、これらの吉数は
よく見られます。 

例えば、妊娠5カ月目の戌(いぬ)の日に、七尺五寸三分の 岩田帯を お腹に巻く
帯祝い」。
また、生まれて 7日目の赤ちゃんを祝う「お七夜(しちや)」もそぅですね。
更に、歯が生え始めるころの 子に初めてご飯を食べさせる「お食い初め」では
3個の小石を 歯に触れさせる儀式を 行うこともあるといいます。

その昔、医療が まだ発達していなかったころ、子どもが すくすくと 無事に育つことは
それ自体が とても、おめでたいことでした。
今も 七五三の行事が 絶えることなく続けられているのは、子どもの 健康と成長を 願う
親の気持ちが、どんな時代であっても 変わらないことを 示しているのかもしれませんね。

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ワイン

紅葉の候
日増しに 冷気加わる、今日この頃です。
皆さんの 服装も、日に日に、1枚、また1枚と増える、今日この頃でしょぅか?

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

‘ワイン’
店先に、‘ボージョレ・ヌヴォー’の ポスターが 見られる様に なりました。
ワイン好きの方には、待ち遠しい 季節ですね。

世界での ワインの起源は、実に古く、実際にワインを 造り始めたのは、メソポタミアの先住民
シュメール人の遺跡で 発見された土器から、8000年程前と 推定されています。

紀元前3100~1500年
に栄えた、エジプト王朝のピラミッドの中の壁画には、ぶどう栽培や
ワイン醸造の絵が 描かれていて、紀元前1700年頃の ‘ハンムラビ法典’ にも、ワイン取引の
記述が 残っています。

ワインが一般化したのは、紀元前1500年頃クレタ島など エーゲ海の諸島に 広がってからと
考えられ、その後、ギリシャ、さらに ローマへと 広がって行きました。
紀元前600年頃には、フェニキヤ人によって、南フランスマルセイユにも伝えられ、その後
勢力を強めてきた ローマ人によって、ヨーロッパ全体に 広がっていきました。

このように、ヨーロッパでは、ワイン造りの歴史は、数千年の歴史がありますが、日本
ワイン造りが 始まったのは、明治時代の初めからで、まだ、百数十年の歴史 なのだそぅですよ。

ワインには、ロゼ などがありますよね、赤ワイン白ワインでは、ぶどうの皮を
漬け込んで 発酵させるか、果汁のみを、発酵させるかの 違いがあります。

赤ワインは、黒ぶどうを使い、果皮や種子とともに発酵させたもの。
一般的には、辛口で、果皮に含まれるタンニンから、渋みと、コクが生まれます。 

白ワイン
は、一般的には、白ぶどうを使い、果皮や種子を 取り除き、果汁だけを 発酵させたもの。
渋みが少なく、すっきりとした、フルーティ-な味わい。甘口から辛口まで 楽しめます。 

ロゼワイン
は、赤ワインを造る途中で、ほんのり バラ色になった頃に、果皮や種子を 取り除き
さらに発酵させて 造ります。
黒ぶどうと、白ぶどうを混ぜて 発酵させる ロゼもあり、甘口から 辛口まであります。

熟成期間は、国産ワインの場合、白ワイン1~3年赤ワインは、2~5年で 飲み頃に
なりますが、中には、10年の時が経って、飲み頃を迎える 高級ワインもありますね。

秋の夜長
今宵は、しっとりと ワインで一杯、などといぅのも、良いですよね。

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江戸時代の仕事

爽涼の候。
朝夕は 肌寒さも覚え、ようやく、秋も 深まって まいりましたね。
急速に、そして、確実に 冬に近づきつつ あることも 感じます。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

江戸の 時代の 仕事。
っといっても、闇の仕事人 のことでは ありません。

この時代は、当然、時計などは 普及していませんので、仕事の時間は 自然まかせです。
農業は、日の出と共に起きて、田畑で働き、日没の頃に家へ帰る。
季節によっても仕事は変わり、冬場は、家の中で はた織をしたり、わらじを編んだり
していました。
商家では、朝、主人が雨戸を開ける頃から、仕事は始まり、日が暮れたら、終わり。
職人 や 武士も、同じ様なものだったといいます。

休日の概念は、後に西欧から入ってきたもので、江戸時代には、働くと休むの区別がなく
土日も 昼休みもなく、働いていたそぅです。
大人は皆、自分の裁量で 時間を管理して、生活を送っていました。

農家であれば、田植え や 稲刈りなどの 共同作業の時 以外は、作物の 生育を見ながら
仕事を決める。

武士は、江戸の 藩邸詰めの場合は、登城の日が 決まっていましたので、それ以外の日は
他藩の武士と 交流したり、内職をしたり。

職人は、頑張るか、怠けるかは、全くの自由。

商家の 使用人たちにしても、一日中、店の中に いた訳ではなく、売掛金を取りに行ったり
手紙を届けたりで、外出をする機会が 意外と多かったといいます。
外に出てしまえば、野次馬見物 や 友だちと話し込んだり、芝居 や 相撲を見ていたりと
けっこう 自由にしていたのだとか。
しかし、外で何をやっていても 結果さえ出せば良いと、主人も 番頭も 黙認していた様です。

女性たちも、たいていは 働いていました。
裁縫を、ほとんど 皆が 身につけ、着物の洗い張り や つくろいの 内職が盛んでした。

また、習字ができると、教師の口があったり、特別な技能を持っていると、就職口が
広がりましたので、現代の様に 寺小屋が 終わってからも、習い事の 塾へ行く子どもが
沢山いたのだそぅですよ。

当時、一番の出世コースは、成功した家に養子に入る こと。
特に商家では、店の存続を考え、有能な使用人を しばしば、養子に迎えていたと
いいます。

主人・経営者ともなると、会合などで 同業者と親しくなることが 重要であった為
専門知識の他に、コミュニケーションの能力が 求められました。

お使いの 合間の、お茶や酒飲み。
芝居や相撲見物。
仕事中に適当に遊ぶことは、コミュニケーションに 役に立つ必要なこと。
そこで得たものがネタとなり、役に立つ。
当時の人は、そぅ考えていた様です。
怠けて、ただ遊んでいた訳では なかったんですね。

江戸時代身分制度は あったものの、成果主義でも あった様子が 伺えますよね。

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出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


浪費&投資

錦秋の候。
徐々に 秋も 深まって まいりました、今日この頃。
朝晩は、冷え込みさえも 感じられる様になりましたね。
考えてみれば、あと 一月半もすれば、暮れの様相。
今年も、一年を 振り返る、そんな 時季ですね。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

相も変わらず、物価の上昇に 困惑する 世の中。
この様な時代ですから、皆さんも 浪費節約などと、そんな言葉に 敏感に なられて
いるのでは、ないでしょぅか? 
物 や お、時に 時間などにも、当てはまる 言葉ですよね。
そして、この様な時だからこそ、貴重な資財を有効な 投資に使いたいと お思いに なっている
皆さんも、多く いらっしゃる事でしょぅ。

浪費・・・浪費とは、その時には、即、何らかの見返りが、あったとしても、将来的に
リターンがない。
むしろ、マイナスさえ生じる事に、お金 や 時間を 無駄に使う 事ですね。

一方
投資・・・結果は、すぐに出ない。そして今は、それなりの努力を必要としますが、その努力
をしておけば、将来に より大きな 成果が 返ってくるものです。

毎日、少しでも 無駄な浪費を 避けて、投資をする様な 習慣を作る事で、それまでは
できない、と思っていた事が、案外、容易に できる様に なるのだそぅですよ。

買物なども、その費用が 浪費なのか、投資なのかを 考えて購入する。
仕事の上でも、例え 高価な買物であっても、周囲の評価が上がり、仕事が やり易くなるので
あれば、それは 投資となる訳です。
しかし、全く その逆で、周囲にも 迷惑。
将来的に、マイナスに、なってしまうのであれば、それは、全くの 浪費といぅ事に
なってしまいますよね。

政治の世界も 混とんとする中、例え 首相 や 政権が 代わったとしても
まだまだ、厳しい世の中が 続く事でしょぅ。
自分たちの貴重な資産は、将来、必ず リターンが見込めるものだけに、慎重に考えて
使う様に 心がける事が 大事ですね。
財布の ひもは、しっかりと閉める。
しかし、閉めてばかりでは、何も変わらないばかりか、悪い方向にも 転がってしまうかもしれません。
そして、財布の中身も 人それぞれ。
それなりに、日々、しっかりと 考えながら、できる事から こつこつと。ですかね? 

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


まねき猫

秋冷の候。
日増しに 秋の深まる 気配を感ずる 今日この頃。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

商売繁盛の 縁起物として、日本では 古くから 片手を上げたポーズの猫の置物
‘まねき猫’ 
今でも商店の 目立つ場所 や 何気に家庭の、どこかに 飾られていたりしますよね。
この まねき猫右手を 上げている物は、お金を招き左手を上げている物は
人を招く といわれていて、どちらにしても 商売繁盛の 縁起物と いぅことになります。
最近では、両手を上げている まねき猫も 見かけますね。

まねき猫は、江戸時代、大老として 徳川家を支えた 井伊直弼の先祖、井伊直孝
関係している エピソードが、まねき猫の ルーツと いわれています。

こんな、お話しだそぅです。
ある日、鷹狩りに 現在の世田谷へ 出かけた時の話、現在は、住宅街の 世田谷ですが
当時は、うっそうとした原野が 続いていた土地です。
ここで 井伊直孝は、突然のドシャ降りに 見舞われてしまいました。
そこで 仕方がなく、近くの荒れ果てた寺の、その門のところで、井伊直孝 一行は
雨が上がるのを 待っていました。
すると、寺の奥から、一匹のが 現れて、手招きをしたのだそぅです。
‘いったい何だ?’ と井伊直孝たちが、その猫の まねく方向へ歩を 進めた瞬間
さっきまで 雨宿りをしていた門に、激しい落雷が あったのです。

そのが 招いてくれなければ、当然、その雷に一行は、やられていたはず・・・
と ゾッとし、それと同時に、に 感謝をしました。
そして その話が広まり、猫が守り神として 奉られる様に なったのだといいます。 

は、雨降り前、湿度が高くなってくると 顔を洗う様に、毛づくろいすると いわれます。
たまたま、そんな しぐさを見かけた 井伊直孝は、命拾いをしたと いぅことですね。

ちなみに、その井伊直孝が 雨宿りをしていた 世田谷に あった荒れた 寺とは
現在は 立派な 豪徳寺
その事に 感謝をした 井伊直孝は、そこを 菩提寺として 再建しました。
現在、その参道の脇には、元祖まねき猫を 奉った、お墓も あるのだそぅです。

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


みずがめ座の神話

仲秋の候
秋の色が 次第に 深まり、味覚の秋も 感ずる 今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

‘みずがめ座’
この 星座に まつわる、こんな神話を ご存知でしょぅか? 

その昔、神々の住む神殿では食事の時、アンブロシア料理を 皿に盛り、アポロン
琴を弾き、音楽の女神が 舞を踊り、神々の杯には、酒が注がれることが 恒例でした。
この酒を 注いで回るのが、大神ゼウス と 王妃ヘラの 娘の役目でしたが、娘
ヘラクレスの妻となった為、その代わりが 必要となりました。
しかし、娘は その体 全体が 光り輝く程に美しかった為、その代役を探すのは
なかなか 至難の業でした。 



その時、ゼウスの頭に浮かんだのが、美少年と 誉れの高かった ガニメデスでした。
そこで、ゼウスは姿を 鷲に変え、ガニメデスを つかみ上げて、さらってきたのでした。 
宮殿に着くと ゼウスは ガニメデスに 永遠の若さと 美しさを与え、酒を注ぐ 役目を
告げたのだそぅです。 

ガニメデスは 光栄だと喜んだのですが、自分が いなくなり、両親が どんなに
嘆き悲しんでいるかと思うと、大きな悲しみが こみ上げて くるのでした。
これを知ったゼウスは、息子を失った両親の失意を 少しでも和らげようと、ガニメデスの
姿を 星座にして、空に上げて やったといわれています。 

星座に まつわる、こんな逸話を知っていると、星空を見上げるのも、また一段と 楽しく
なりますね。

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
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