川越まつり 2

秋冷の候。
秋も たけなわ。
読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・と、まぁ、諸々と ありますが
皆さんは、どの様な 秋を 満喫されますでしょぅ?
などと のん気な ことを言っているうちに、10月です。
あれよ あれよと、11、12月と、年は 暮れていきますよ。
そぅ考えると、気持ちも 何だか あせってしまいますね。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

‘川越まつり’

城下の大半が焼き尽くされた、寛永15年(1638年)の川越大火の 翌年、幕府の
老中であった、松平伊豆守信綱が、14代川越城主となり、川越の町の再興が始まります。
この様な中、信綱は、城下に にぎわいがないのを憂いて、慶安元年(1648年)に
鎮守である 氷川神社へ、御輿 や 獅子頭、太鼓などの 祭礼用具を 寄進して、祭りを
推奨しました。
この御輿が、氏子の町を渡御したと ‘万之覚(よろずの覚え)’ に記された、慶安4年の
神幸祭が ‘川越まつり’ の 起源と言われています。

 

この後に、祭礼が 川越十ヶ町の町方に 引き渡され、元禄11年(1698年)に
高沢町(現在の元町2丁目)が、神幸祭の御輿に随行する踊り屋台を出して以降、各町から
様々な 出し物が 出される様になりました。
更には 江戸より、日枝神社の 山王祭や、神田明神の 神田祭等の 天下祭から 影響を受けて
山車、屋台、練り物 等が 祭礼を彩る様になりました。

明治新政府の時代に入り、徳川時代の遺構は、ことごとく排除され、天下祭も 終焉を
迎えていきます。
山王祭や 神田祭は、その後に 復活はしたものの、築きあげられた 山車文化は、周辺都市へ
流出する 結果となりました。
川越でも、この流れを受けて、祭りにも 拍車がかかり、物資の集散地として繁栄を築いた
川越商人の 経済力と相まって、山車が、より豪華絢爛なものへ変化し、祭礼自体も
この山車を 主体とした、現在の形に 変化していきました。

昭和43年(1968年)に、旧十ヶ町の山車等が、埼玉県より、有形民俗文化財に
指定されたのを転機に、山車保有町内協議会と、川越市が 管轄する 祭り協賛会の
主催行事となり、更に、昭和62年(1987年)には、埼玉県より 無形民俗文化財に
指定されました。

氷川神社の 例大祭に合わせた開催日 10月14~15日を 平成9年(1997年)から
10月の 第3土曜日と日曜日へと変えはしましたが、市制施行80周年となった
平成14年(2002年)には、それまでにはなかった、29台の 山車が揃う 豪華さを魅せ
平成17年(2005年)には、国より 重要無形民俗文化財に指定され、現在は
ユネスコ無形文化遺産にも 登録されています。

なんといっても、川越まつり 開催の2日間で 最大の見所といえば、‘曳っかわせ’ です。
この、‘曳っかわせ’、山車は、神の依代(より白)であり、曳き廻しの中で、他町の 山車と
出会えば、神どうしの対面であると考え、山車の正面を曳き合わせて、それぞれの 囃子流儀で
相手を称え、象徴でもある 人形どうしを 挨拶させたといぅ決め事に 由来しています。

現在では、お囃子の 他流試合と 解釈されている面も多々ある様で、その過熱ぶりの 良し
悪しはともかく、この山車の 曳き合わせの為に生まれた、川越独自の回転台(廻り舞台)
を最大限に 駆使する、お囃子の競演は、一番の見所です。

この様な 歴史ある、川越まつり、今年も 今週末 10月 17日・18日と 開催されます。

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