晩夏の候。
早いもので 明日は、立秋。
とはいえ、まだまだ 暑い日が 続いていますが・・・
「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・
20,000対500の戦いに挑んだ、 天下一の “でくのぼう” とは・・・?
天下統一を目前に控えた 豊臣秀吉にとって、関東の片田舎にある 忍城(おしじょう)など
取るに たらぬ敵だった。
豊臣方の 石田三成 率いる20,000の 軍勢に対し、成田長親(ながちか) 率いる
忍城の兵数は、わずかに、500。
誰の目にも 勝負は明らかだったが、長親 率いる忍軍は、容易に屈しない。
この小さな城の強さの秘密・・・それは、領民たちから、「でくのぼう」「のぼう様」と
慕われる、長親の人柄だった。
固い結束を誇る、長親軍を攻め あぐね、石田軍は、水攻めで 潰しにかかる。
この絶体絶命の危機に、長親が打ち出した、味方も驚く奇策とは・・・?
圧倒的なスケールと 濃密な人間ドラマで甦る、戦国エンタテインメント。
と、2012年に 公開された、映画 ‘のぼうの城’ の 一節。

‘忍城(おしじょう)’ は、埼玉県の 行田市に あった、戦国時代の お城です。
関東七名城に、うたわれた 忍城は、文明年間(1469~86年)の 初め頃に 築城され
上杉謙信 や 北条氏との 戦いにも 落城せず、石田三成 の水攻めにも耐え、戦国の世を
生き抜いた、名城といわれています。
そもそも、忍城は、戦国時代、行田周辺の 武蔵武士の中から、現在の 熊谷を 本拠地とする
成田氏が台頭し、築城されました。
忍城の 築かれた場所は、北は 利根川、南は荒川に 挟まれた 扇状地で、小さな川が
乱流すると共に、伏流水が 寄り集まって、広大な 沼地となっていました。
そこに残る島や 自然堤防を巧みに 利用して 忍城は、築かれました。
天正18年(1590)3月、豊臣秀吉は、関東平定の為、その頃、関東を支配していた
北条氏の拠点である、小田原へ 出陣します。
忍城主の 成田氏は、北条氏に属していた為、秀吉方の武将、石田三成によって
攻められることになります。
秀吉は、忍城の 水攻めを考え、命を受けた 石田三成は、延長28キロとも いわれる堤を 築き
利根川と 荒川の水を 引き入れるといぅ 大作戦を 実施しました。
しかし、城が 沈まなかった為、これを見た人々は、城が沈まないのは、浮くからだと考え
忍城は「浮き城」として、その名を とどろかせました。
現実には、忍城の 建つ地形が 周りよりも少し高かった為、沈まなかったと考えられています。
1ヶ月にも 及ぶ 水攻めに耐え、豊臣軍の攻めにより、小田原城が 7月6日に 開城した後
忍城も、よぅやく開城。
7月14日に 豊臣軍に引き渡されることになります。
今後の 大河ドラマ ’豊臣兄弟‘ でも、描かれますでしょぅか?

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