銭湯(その2)

桜花の候。
各地では、の花が 見頃ですね、既に 桜吹雪も ちらほら。
桜の花は、散り際も 早いのが、残念です。
まだまだ、冷え込む日も残り、春爛漫とはいかぬ、今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

身も 心も、ちょっと 温かくなりそぅな、‘銭湯’ の お話し、その2。

銭湯が 料金を徴収して入浴させる といぅ、商売として 日本に登場したのは
「今昔物語」にも 書かれて あるところからみると、既に 平安時代には 出現していた
ことになります。
もっとも、現在の様に、庶民の日常生活の為の施設として、使用される様になったのは
江戸時代に入ってからで、約400年程 前からです。

更に 現在の様な 銭湯の構造になったのは、明治の時代に入ってからのことで
それ以前は、混浴も多くあった様ですが、外国人から 見た混浴は、風紀が乱れる
とんでもない こととされ、明治政府は、あわてて 混浴の禁止令を 定めました。
もっとも、混浴といぅ 長い習慣が、 一斉に改められることは、当然、なかった様です。

ところで 銭湯といえば、あの、お寺 や 神社様式の 宮造り型が、まず頭に 浮かぶ人も
いるのでは ないでしょぅか?
この様式は 東京型銭湯の特徴で、意外と その歴史は 新しいものです。
関東大震災の 復興期に、宮大工の棟梁により、それまで 町家風の質素な 造りだった
銭湯を、湾曲のある、唐破風(からはふ)の付いた 豪華な 宮造りにしたところ
それが、東京中の 評判となり、以降、それが 東京型銭湯の 定番となりました。

ちなみに、地方の温泉施設に 多い宮造りは、仏教が布教を目的として、無料で庶民に
蒸し風呂 などの場を 提供したことに 由来しているそぅです。

また、銭湯といえば、浴室正面の巨大な 富士山のペンキ絵が、あまりにも
象徴的ですよね。
実は、この絵の 発祥も、東京なのだとか。
大正元年、神田猿楽町にあった、「キカイ湯」といぅ銭湯の ご主人が、お客の子供に
喜んでもらおぅと、静岡県出身の画家に依頼したところ、この画家が、富士山を描いた
ものが 始めだそぅで、これが好評となり、広まっていった といわれています。

銭湯は、その土地ごとに 構造も異なり、それらを 訪ねる旅をするのも、静かなブームと
なっているらしいですよ。

日本の入浴文化は、単に体の汚れを落とすだけではなく、浮世の垢も落とすことを
目的としている点が 特徴です。
近年、スーパー銭湯に押されて、この様な 昔ながらの 銭湯を 探すのも、大変でしょぅけど
そんな 銭湯に出かけて、身も心も すっきり、なんてのも、たまには 良いかもしれませんね。

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。

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