よもやま話

アンドロメダ銀河

深冷の候
立冬
も過ぎ、11月も 中盤。
吹く風に、冬の 到来を感じる 今日この頃。
ちまたでは、クリスマス や 年末年始の 話題も 目にする様になりました。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。

さて、今日の話題は・・

さすがに 11月ともなると、夜は冷え込み、夜空が澄んで、色々な 星々を
美しく 眺めることができますね。
この頃、頭上に輝きだすのが アンドロメダ大銀河
これは、肉眼でも、ぼ~っと細長く伸びた 光の姿を見ることができる
アンドロメダ銀河 M31 のことです。
この銀河は、太陽系が属する 銀河系の隣りに位置し、大きさは 銀河系の約2倍。 
属する星の数も、約2倍はある といわれています。
距離は、230万光年といぅ想像の つかない 遥か遥か 彼方に ある銀河です。
といぅことは、私たちが見ている星の輝きは、230万年も 昔の光を見ている訳で
もしかすると、もぅ、その星々は消滅していて、放たれた光だけを、かなり遅れて
見ているのかもしれませんね。

さて、ここで、こんな 興味深い お話しがあります。
私たちがいる 太陽系が 属する銀河系と アンドロメダ銀河は、秒速約300kmの
速さで 近づいていることが 分かっています。
つまり50億年後には、この2つの銀河は、衝突して 一つの 楕円銀河といぅ銀河を
形成すると いわれます。
気が遠くなる程、気の長い話ですけど、いったい 衝突の後の 太陽系や 地球は
どぅなってしまうのでしょぅか?

っといぅことで、こんな 星の お話も。
秋の 星座の一つに 「うお座」がありますよね。
秋と されてはいますが、実の 見頃は 11月~12月。
うお座は「北の魚」と「西の魚」が リボンで 結ばれた様な 形をしている
ところが特徴です。
この2匹の魚は、愛と美の 女神 アフロディーテ(ビーナス)
その子 エロス(キューピッド)が 変身した姿だと いわれています。

では、なぜそぅなったのでしょぅ? 
神話では、ある時、神々たちが 川の ほとりに集まり 宴を催しておりま様にした。
ところが、この宴会を聞きつけて 怪物(テュポン)が 現れました。
この 突然の乱入者に 神々は驚いて、散り散りになり 逃げまどいました。
美の女神 アフロディーテと その息子 エロスは、川へと 飛び込み耀にました。
しかし、怪物から 早く逃げる為には、魚に 姿を変えるしか方法がない。
そこで、はぐれてしまうことが ない様に、互いの体を リボンで繋ぎ 逃げ切ります。
やがて この姿が 天に昇り、「うお座」になったのだと 伝えられています。

いつの時代も 親子の 情愛に 勝るものは ないのでしょぅ。
ことわざに、「親思う心に 勝る 親心」 などと いぅ言葉も ありますよね。
こんな 神話を 知っていると、寒い夜空も 少し 暖かく感じてきたりは しませんか? 

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


菊(きく)

晩秋の候
11月に入り、さすがに、立冬を 迎える 今日この頃の 朝夕は
冷え冷え して まいりました。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・

日本の 国花 を ご存知で・・・・・・すよね?
この季節、大輪の花を咲かせている、‘菊’ です。
今が 見頃だそぅですよ。

東洋で 最も古くからある 鑑賞植物 だと いわれています。          
菊は、平安の時代に 中国から 渡来しました。

 

‘きく’は 漢名の ‘菊’を 音読みしたもので、また、‘菊’ の漢字は ‘散らばった 米を1ヶ所に集める’ 
といった 意味を持ち、菊の弁を、米に見立てたものです。

漢名の‘菊’は ‘究極・最終’を意味し、一年の 一番終わりに 咲くことから 名づけられました。

中国では 古くより、菊は 不老長寿の 薬効があるとされ、 陰暦の 9月9日(重陽の節句)には
菊酒を飲み、長寿の 祈願をしました。
これが 次第に 日本にも伝わり、菊の花を 酒に浮かべて、飲み花を鑑賞する、 ‘重陽の宴’ 
催されるよぅに なります。
後に 菊は 皇室の紋章 になり、日本の国花 にもなりました。
        
ちなみに、菊の 花言葉は ‘思慮深い’ 等々です。 

菊人形(きくにんぎょう)などと いぅものも ありますよね。
これは 菊の花や 葉を 細工して 人形の 衣装としたもので、各地で 展示会 等も
催されています。
見よぅに よっては、ちょっと、不気味な 感じも しますけどね。

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もみじ(紅葉)

秋晴の候
秋空も 高く、爽やかな 季節と なりました。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・

’ 秋の夕日に 照る山 紅葉(もみじ) 濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は 山のふもとの 裾模様~♪ ‘

皆さんも、ご存知の童謡、‘もみじ’ です。
子供の頃、よく 歌わされましたね。 
北海道 や 北の地方では、既に 紅葉(こうよう)が 始まっている頃でしょぅか。
っと、いぅ事で、今日の話題は、‘もみじ(紅葉)’

もみじの 語源は、秋口の霜 や 時雨の冷たさに、揉み出される様にして 色づき 始める事から
‘揉み出づ’ → ‘もみづ’ → ‘もみじ’ → ‘紅葉’ と 転訛(てんか)したとする説が 有力とされています。
また、もみじは、紅葉と 書き表されます様に、木の葉が 紅く染まる様を 総じて いぅのだそぅです。
童謡の もみじは、そんな 歌詞ですよね。
しかし、私には、その様な 認識は 今一なく、もみじの木として、固有な木だと思って
いたのですが・・・・・・かえで(楓)の木、だったのですね。
おそらく、私と同じ思いで、いらした方も 多い事でしょぅ?
決して、間違いでは ないのですよ、もみじ=かえで、ご安心を。
もみじ だったり、かえで だったり、こうよう だったり、ややこしいですね。

かえでの 名称の由来は、葉っぱが かえるの手に 似ている事から、‘かえるで’ と呼ばれ
それが 転訛したものとされています。
日本で、かえで として、一般に見られるものは、‘いろはもみじ’ と 呼ばれる ものだそぅです。

ご存知でした? かえでの 一種、‘さとうかえで’ と いわれる種は、樹液が甘いので
これを 採集し煮詰めて、メープルシロップ を作ります。
また、この さとうかえで は、その葉っぱが、カナダの国旗に デザイン されている
ことでも 有名ですね。
木材としても、さとうかえで は、使われています。
メープル材 と呼ばれ、重硬で 肌目は、緻密で 衝撃にも 強い木材です。
建築材、家具、ボウリングのレーンや、ピン、楽器にも 使用されています。 

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神無月(かんなづき)

仲秋の候
10月に入り、いよいよ、も 深まりを 見せる頃。
今年も 余すところ、3か月となって しまいましたね。
歳とともに、時の流れが 早く 感じられる 今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・

10月は、旧暦の和名で「神無月(かんなづき)」とも 呼ばれます。
この名称の由来には、諸説あるそぅですが、日本中の八百万(やおよろず)の神々が
島根県の 出雲大社に集まるので、各地の神様が いなくなることから 名付けられた
といぅ説が、一般的な様です。 

さて、そんなことで、いつもは 全国各地で人々や、その土地を守ってくれている
神様が いなくなる といぅのは、心配ではないですか?
実は、そんな時にも、しっかり家を守って、「留守番」を して下さる神様がいるんです。
その神様こそが、右手に釣り竿を持ち、左手で 鯛を抱える姿で 皆さんにも お馴染みの 
恵比寿(えびす)様」。 

七福神の 神様でもある 恵比寿様は、四方を海に囲まれた日本では、古来から漁業の
神様として 祭られてきました。
その後、室町時代になって、商業が発展してくると 商業の神様として、さらに 農村では
五穀豊穣の 神様としても、あがめられる様になったと いわれています。

他の神様が 出雲大社に 集まっている間に、日本各地で家の 安全を守ってくれるのは
大変ありがたいと思うのですが、ひとりで留守番とは、ちょっと 寂しい気もしますね。 

そんな恵比寿様を 皆で 慰め様として 始まったとされる行事が「えびす講」だそぅです。
各地の 恵比寿様に参詣して、商売繁盛 や 家運隆盛を 祈る「えびす講」は、関東では
10月20日に 行うことが多く、関西では 正月の10日に「十日戎(とおかえびす)
として、行う 地域が多いようで、「えべっさんの 愛称でも 親しまれています。
特に 昔からの商家では 親戚や大勢の客を招いて、にぎやかに、お祭りすることが
多かったと いわれています。 

でも、本来は 留守番役の 恵比寿様です。
エビ(恵比)で 鯛を釣る」などといぅ 期待までは、虫が 良過ぎるの かもしれませんけど。
留守番をしてくれる 恵比寿様に対して、きちんと 感謝しつつ、商売繁盛 や 家運隆盛を 
お願いするのであれば、恵比寿様も 願いを 叶えて下さるかも しれませんね。

ん? 恵比寿様って、一家に 一人なんですか? って、恵比寿様 だらけに なりません?
神様って、いったい、どれだけ いらっしゃるんでしょぅ??

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さつまいも

初秋の候
9月
も 十日が 過ぎ、
ひと頃の 酷暑は なくなったものの、まだまだ 残暑が 続く 今日この頃。

「シュウプロの よもやま話」
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さて、今日の話題は・・

そろそろ、そんな 季節に なりますね・・・「さつまいも」
かつて、さつまいも飢饉の際、多くの 人々の命を救った、大変ありがたい 作物でした。
関東地方に、さつまいも が伝えられたのは、享保16年(1732年)の 飢饉が、きっかけでした。

川越城主松平大和守が、十代将軍徳川家治に 川越地方で 採れた、さつまいもを 献上したところ
色が美しく、味も 良かった事から、‘川越いも’ の名が 高まったと いわれています。
江戸では、寛政年間(1789~1800年)に 焼芋屋が、繁盛していた事が 知られており
当時の 江戸っ子に 最も 好まれたのが、‘川越いも’ でした。
江戸の人たちは、‘川越いも’ のことを 洒落て、‘十三里’ とも 呼びました。
この 呼び名 の由来は、‘栗(九里)より(四里)、うまい十三里’ といぅことで、川越から
陸路13里で、江戸に 運ばれた からだといいます。 

さつまいも には、20種以上の品種がありますが、その中でも、‘紅赤(べにあか)’ 
俗称、金時 とも 呼ばれ、中身が 黄色で おいしく、正月料理には、欠かせない食材です。
市場で現在人気の高い、‘紅東(べにあずま)’と比べて、甘みが少ないと言いますが、味と香り
外観に優れ、舌ざわりがよく、火が通りやすく、天ぷら や きんとんいもようかん などに 適しています。

この 紅赤は、幻のさつまいも といわれ、明治31年(1898年)に、突然変異の、鮮紅色の株が
発見されたことに 端を発するそぅです。
偶然、出来た、紅いさつまいもを 食べてみたら、ホクホクして 非常に美味しかったので、川越地方では
いち早く生産され、やがて、‘川越いも’ といえば、‘紅赤’ を指す様に なりました。
‘紅赤’ は、チッソを嫌うので、関東ローム層の 赤土に 大変、良く合う 品種でした。
現在では、三芳町 上富 地区で、わずかに 栽培される だけとなってしまい ‘川越いも’ なかでも
別格の、‘富の川越いも’ として、ブランド化 しています。

そぅいえば、川越から、三芳、所沢、辺りに かけては、いも畑が 多いですよね。
この 辺の街道は、別名、‘いも街道’ などとも 呼ばれています。
これからの季節、即売所 や いも掘り が出来る 農園も ありますから、いも好きの方々には
魅力的な 街道ですね。
そぅ、誰もが 子供の頃、泥だらけになって、いも掘りって しませんでした?

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滝(たき)

残夏の候。
暦の上では、立秋が過ぎたとはいえ、相変らず 酷暑が続き
土用明けの 暑さは 一段と厳しく、まだまだ、夏も 真っ盛りな 今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

木々の 緑の中を流れる 幾重もの真っ白な筋、岩に打ちつける 力強い水の音など
夏ならではの 涼を体感出来る場所といえば、日本各地にある “滝” が 挙げられますね。

滝の楽しみ方には、ただ滝を 眺めるだけでなく、昔から 様々なものがあった様です。
例えば、‘滝浴び’
今でこそ、“滝を浴びる”といえば、白い装束に身を包んで行う修行ぐらいしか
思い浮かばないかもしれませんが、江戸時代には “滝浴び” が 娯楽の一つで あったといわれています。
当時の “お江戸” といえば、まだ海水浴の習慣など 無かった時代です。
夏の盛りに ひと時の涼を求めて、滝を浴びて楽しんだそぅです。
中でも有名なのは、現在の東京都北区にある「名主の滝」
当時、「王子七滝」と呼ばれた 名所のひとつで、滝の周りには 茶屋などの店も出て
にぎわった といわれています。
おそらく、滝の真下で 水に打たれるといぅよりも、滝のしぶきを体に浴びるくらいの
ゆったりと くつろげる避暑地の様なものだった のではないでしょうか。

そうした 娯楽性の高い 滝遊びなどがある一方で、滝は古来より、神聖な場所として長い間
あがめられてきました。
その興味深い歴史は、全国各地に残る滝に まつわる伝説や、今も なお続いている 滝祭りなどの
伝統的な習慣に 垣間見ることができます。

例えば、群馬県沼田市「吹割(ふきわれ)の滝」に残されている、‘竜宮伝説’
ここの滝つぼは 竜宮につながっているとされ、村人たちは めでたいことがあると、膳や椀を
借りる為に手紙を書いて 滝つぼに投げ入れました。
すると、滝の岩の上に 膳や椀が 置かれていたといいます。
ところが ある年、うっかり 一組の膳と椀を返し忘れてしまい、以後は竜宮から、膳も椀も
借りることが出来なくなってしまった といぅ言い伝えです。

ある時は 近寄りがたい 神聖な場所として、そして またある時は 気軽な娯楽地として
滝は それぞれの時代で人々の生活と深く関わってきました。
幸いな事に、大小、有名無名を問わず、日本全国には 数えきれない程の滝があります。
名所と呼ばれる滝を めぐるのも良し、近くの親水公園を流れる 小さな滝で 一息つくのも
また 良しですね。
まだまだ、暑い日が 続きそぅです。
この夏の終わりに、滝の白き しぶきに 癒やされる っといぅのも 良さそぅですね。

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ところてん(心太)

仲夏の候
7月
に入り、早、半月が 経ちました。
早々と 梅雨が 明けたかと思いきや、戻り梅雨の 様相ですね。
また、コロナの波も 再来の 兆しもあり、スッキリと 晴れない 今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
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さて、今日の話題は・・・

天草(てんぐさ)を煮溶かし、冷まし固めた ‘ところてん’

透明感と つるっとした 喉ごしは、夏の暑さを 涼やかに癒してくれる一品ですね。
江戸の時代から、天草の本場・名産地といえば、伊豆の稲取なんだそぅですよ。

夏になると 食卓にも 登場する ‘ところてん’
天突き といぅ器具で 麺状に押し出し、酢醤油や辛子で、さっぱりと 食べるのが定番。
材料は、天草という海藻で 煮溶かして、冷ますと 固まる 性質を持っています。
全国の 様々な海域で採れますが、とくに伊豆半島の稲取産は コシが強く、コクのある
ところてん が出来る為、江戸・沼津藩の時代から、海女による天草漁が盛んに行われて
きたそぅです。
天草は 採った直後の乾燥も重要で、稲取では明治中期から 干し場に やぐらを組んで
竹の 簀の子の上に 広げて 乾かす方法を開発。
砂が付かず、水切れや風通しが良い環境で作られた質の良い「稲取の さらし天草」は
名産地の 評判を 更に高めました。

現在でも 漁や乾燥の方法は勿論、ところてん作りの  基本的な工程は、昔ながらの
手作業が多いのだといいます。
時間も 手間も かかりますが、良質の天草から生み出される豊かな 風味と 口当たりは
本場ならではの 格別な味わい。

日本の食品の中でも、ところてんは 大変に 古い歴史を持っています。
飛鳥時代に 制定された「大宝律令」で、「心太(こころぶと)」といぅ名で登場していますし
当時は 上流階級の 高級な食べ物でした。
その語源は、天草が “煮凝る” 様子を 表わしたものといわれ、その後、呼び名を変え
‘ところてん’ となったのは 江戸期のこと。
庶民の間にも広がり、納涼茶屋などで 売られていました。
冷たいスウィーツなどない時代、ところてんは、暑気を癒す、有り難い 食べ物だったこと
でしょぅ。

「清滝の 水汲みよせて ところてん」といぅ、芭蕉が 詠んだ 名句が あります。
目に口に 滝の様な涼しさを誘う、ところてんの 魅力を 詠んだものです。

天草と水だけで作る ところてんは ノンカロリーで、見た目の 涼しさだけでなく、実際に
体を冷やす作用も あるそぅです。
酢醤油を かけるのも、酢に含まれる クエン酸を摂り、醤油が汗で失った 塩分を補うといぅ
理に かなった食べ方。
また、アガロースといぅ 食物繊維も 豊富に含まれ、理想的な自然食品です。

黒蜜を かけて食べても、などといぅ 食べ方も・・・
でも やっぱり、ところてん には、酢醤油が 良くないですか? どぅです?

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アジサイ(紫陽花)

入梅の候。
水無月・6月

関東地方では、既に 梅雨に 入っていますが、毎日、 はっきり しない

天気が続き、何かと うっとぅしいですね。

「シュウプロの よもやま話」
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さて、今日の話題は・・・

しとしと 降る雨に、ぼんやりと 浮かぶ アジサイが 美しい季節になりました。
雨の中で、みずみずしく咲く アジサイの美しさは、なんとも 良いものですね。

そんな アジサイは、長く咲く間に花色が微妙に変化していくことから ‘七変化’ とも
呼ばれています。
この 妖艶とも いえる 花色の変化も、アジサイの魅力の 一つです。

私たちが 普段よく目にする アジサイは、西洋アジサイです。
日本原産の ガクアジサイが 18世紀末に ヨーロッパへ渡り、ひときわ 大きく華やかに
品種改良されて、日本に 逆輸入されたものです。
西洋アジサイは 花色も豊富でピンク、赤、紫など沢山の品種があって、とても 人気があります。
アジサイといぅと、青い色を思い浮かべますが、秋のオランダには、土手に咲く赤い
アジサイが あるそぅですよ。
季節といい 花色といい、別の花を 見る様だそぅです。

また、アジサイといえば、シーボルトを 思い浮かべる方も いらっしゃるのではないでしょうか?
ドイツ人医師のシーボルトは、オランダ国籍を装って、1823年、鎖国中の日本へ 入国し
国外追放されるまでの 6年間を過ごしました。
植物学者でもあった シーボルトは 蘭学を広めながら、精力的に日本の植物を収集して
その標本を オランダへ 持ち帰りました。
オランダの ライデン大学の植物園には、シーボルトが 持ち帰った植物を、今でも見ることが
できます。
日本から 持ち帰った アジサイの学名に 日本の妻、楠本滝 (お滝さん)の名前を つけたとも
いわれています。

アジサイを 部屋の中に飾って、楽しみたい といぅ方。
葉を 上の方の 3~4枚を 残して取り、アジサイの 茎を ハサミなどで 縦半分に割ります。
茎の中心に 白いワタのよぅなものが見えますので、ハサミなどの先で きれいに
取り除きます(=芯抜き)。
白い部分が きれいに取れたら、スーパーや 薬局で売っている ミョウバンを 芯抜きした部分に
よくすり込みます。
少し置いてから、多めの水が 入った バケツに入れて、十分水を吸わせます(=水あげ)。
花に しっかり水が 上がったら、花瓶などに 生けましょぅ。

ミョウバンがない時には、芯抜きした茎を 焦げ目が付くまで ガスコンロで焼いたり
鍋に お湯を煮立てて、日本酒などの アルコールを加え、茎を2~3cm、5~10秒程度
浸けます。
どちらの場合も、新聞紙などで 花や葉を包んで、熱が当たらない様にすること
そして、すぐに 多めの水が入った バケツに浸けて下さい。

この様にして 水あげをした アジサイは、長く 部屋の中に 飾ることができますよ。
是非、試してみて下さい。

また、花を長持ちさせる為には、生けた花瓶の水を、まめに替えてあげることが大切。
水温が上がる この時期は、水中のバクテリアを 繁殖させないことも 花を長持ちさせるコツです。

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サワラ(鰆)

暮春の候。
早いもので、暦の上では、‘ 穀雨(こくう)’ も 過ぎました。
穀雨(こくう)
とは、季節の 節目の日にあたり、田畑の 土や 穀物を 潤し
その成長を 助ける 春の雨 のことです。
しとしと 雨が降り続いた後、山野の緑は、一層、青々と茂り、夏に向けて
草花の 輝きも 増していきますね。

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さて、今日の話題は・・・

漢字に が 入った魚、‘サワラ’
サワラは 漢字では、魚偏に 春で「鰆」と書きます。
これは、春に産卵の為に 沿岸へ寄る為、人目に 付き易いところから
「春を告げる魚」といぅ意味で、そぅなりました。

国内での産地は、能登半島、相模湾、瀬戸内海が 有名。
旬は 産地により異なり、駿河湾では10月から11月。
瀬戸内海では3月から 5月 だといぅことです。
最近では、韓国からの 輸入物も 増え、私たちが スーパーなどで よく お目にかかるのは
ほとんどが これだと思います。

あらゆる魚の中で 最も 美味しいといぅ人もいます。
身肉と 皮の色が冴えないので、色を大事にする和食では タイやヒラメのよぅな
別格 扱いは されていませんが、「サワラの 刺し身で 皿をなめた」などとも いわれる様に
味は 格別です。
鮨ネタとしても 最高ですが、大変、身割れし易いので 扱いには 技術が 必要です。
「サワラぬ 神に 祟り無し」といわれて、鮨屋さん からも 恐れられているとか・・・・。

サワラ といえば、西京漬けが 一般的で よく目に しますよね。
柔らかい身が締まり、西京味噌の甘味が、上品な サワラの旨みを 引き立てます。

もしも 旬の時期に、新鮮なものが 手に入ったなら、刺し身が 圧倒的に美味です。
旨みは タイ と シマアジの 両者を併せた様で、 トロに似た 食感があります。
ただし、鮮度 落ちが 早いので、絞めてから24時間以内に 食べられる様でないと
美味しい 刺し身には なりません。
まぁ、鮨屋さんをも 恐れさせる様な 魚の刺身なんて、そぅそぅ 食べられるものでは ありませんね。

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銭湯(その2)

桜花の候。
各地では、の花が 見頃ですね、既に 桜吹雪も ちらほら。
桜の花は、散り際も 早いのが、残念です。
まだまだ、冷え込む日も残り、春爛漫とはいかぬ、今日この頃です。

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身も 心も、ちょっと 温かくなりそぅな、‘銭湯’ の お話し、その2。

銭湯が 料金を徴収して入浴させる といぅ、商売として 日本に登場したのは
「今昔物語」にも 書かれて あるところからみると、既に 平安時代には 出現していた
ことになります。
もっとも、現在の様に、庶民の日常生活の為の施設として、使用される様になったのは
江戸時代に入ってからで、約400年程 前からです。

更に 現在の様な 銭湯の構造になったのは、明治の時代に入ってからのことで
それ以前は、混浴も多くあった様ですが、外国人から 見た混浴は、風紀が乱れる
とんでもない こととされ、明治政府は、あわてて 混浴の禁止令を 定めました。
もっとも、混浴といぅ 長い習慣が、 一斉に改められることは、当然、なかった様です。

ところで 銭湯といえば、あの、お寺 や 神社様式の 宮造り型が、まず頭に 浮かぶ人も
いるのでは ないでしょぅか?
この様式は 東京型銭湯の特徴で、意外と その歴史は 新しいものです。
関東大震災の 復興期に、宮大工の棟梁により、それまで 町家風の質素な 造りだった
銭湯を、湾曲のある、唐破風(からはふ)の付いた 豪華な 宮造りにしたところ
それが、東京中の 評判となり、以降、それが 東京型銭湯の 定番となりました。

ちなみに、地方の温泉施設に 多い宮造りは、仏教が布教を目的として、無料で庶民に
蒸し風呂 などの場を 提供したことに 由来しているそぅです。

また、銭湯といえば、浴室正面の巨大な 富士山のペンキ絵が、あまりにも
象徴的ですよね。
実は、この絵の 発祥も、東京なのだとか。
大正元年、神田猿楽町にあった、「キカイ湯」といぅ銭湯の ご主人が、お客の子供に
喜んでもらおぅと、静岡県出身の画家に依頼したところ、この画家が、富士山を描いた
ものが 始めだそぅで、これが好評となり、広まっていった といわれています。

銭湯は、その土地ごとに 構造も異なり、それらを 訪ねる旅をするのも、静かなブームと
なっているらしいですよ。

日本の入浴文化は、単に体の汚れを落とすだけではなく、浮世の垢も落とすことを
目的としている点が 特徴です。
近年、スーパー銭湯に押されて、この様な 昔ながらの 銭湯を 探すのも、大変でしょぅけど
そんな 銭湯に出かけて、身も心も すっきり、なんてのも、たまには 良いかもしれませんね。

えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
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